スピリチュアル雑記

悟りカウンセラー・ドルフィニスト篤 が、悟りの観点からの気づきを綴ります。
自我の声に囚われず、信頼しない

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 

 

今回は、自我との向き合い方について書きたいと思います。

 

 

多くの人は、肉体が自分自身であると信じ込んでいますし、
自我意識のことを自分自身であると信じ込んでいます。

 

 

また、自分の目の前で繰り広げられる現実が
幻想であるという認識がなく、それが絶対的であると信じ込み、
それによって嬉しくなったり、悲しくなったり、
怒ったりと、自我の反応を創り出しています。

 

 

このように、この現実がすべてであり、
この現実は確固としたものであるという
無意識の信頼によって繰り広げられています。

 

 

あなたがわざわざ
そのように信頼した覚えがなくてもです。

 

 

「私」の本性を忘却し、
「私」の本性に関心を向けない代わりに、
外側の現実に対して
全面的な信頼を置いているのです。

 

 

この信頼が錯覚であることに気づかずに・・・

 

 

仏教では、すべての苦は無明が原因であるとします。

 

 

無明とは、錯覚の現実が本物であると思い込み、
本当のことを知らない状態です。

 

 

自分の本性を忘却してしまったために、
確信が持てないのです。

 

 

本当のことを知らず、確信がないために、
常に安心がなく、漠然とした不安が
付きまとうことになります。

 

 

外側の現実に絶対的な信頼を置けば置くほど、
関心は外側に向かうので、
「私」の本性に関心を向けることがなくなり、
本性に対する確信がさらに持てず、
常に不安を創り出すことになります。

 

 

そして、
「本当にこれでいいのか?」
「間違っていないか?」
「他にいい方法があるのではないか?」
と疑いや迷いが生まれ、安心や正しさ、
幸せを探すことになります。

 

 

すべては、自分の本性に目覚めていなくて、
忘却しているために起こってくることです。

 

 

 

「いやいや、私はこの現実で、
何の心配も不安もなく、幸せだ!」

 

 

多くの方がそのように思われるかもしれません。

 

 

しかし、丁寧に、繊細に自分の心を見つめて行くと、
この現実に対して、不安や心配を生み出し、
安心していない自分を発見するはずです。

 

 

実は、誰もが本性を忘却し、確信が持てないために、
不安や疑いを創り出すのですが、
それを払拭し、埋め合わせるために、
外側に確信を求め、探しているのです。

 

 

このようにして、この錯覚の現実の中に
安心や正解、答えがあるはずだと思い込み、
さ迷っているのが私達の現住所です。

 

 

自我は、確信がないために、
「何事にも感謝して過ごすのがよい」
「良い行いをすると良いことが返ってくる」など、
何らかの正しそうな考えや、答えのように見える考えや指針を探し求め、
その考えを掴むことで、錯覚の確信を創り出し、
自尊心を満たし、安心しようとします。

 

 

しかし、外側の現実の中に
確信できそうな証拠やモノをどんなに集めても、
確信を得ることはできませんし、
外側の考えによって完全な安心や確信を得ることはできません。

 

 

この錯覚の現実の中に、私を完全に満足させる
安心や正解、答えは何もないのです。

 

 

確信は、自我が何かを掴むことで得られるものではないからです。

 

 

完全な安心を得るには、自分の本性と出会うしかありません。

 

 

ですから、まず「私は今、さ迷っているんだ」
という自覚を起こすことが大切です。

 

 

自我は確信を探し求め、情報や証拠を集めたり、
うまくやろうと、何とかしようとしますが、
そうしたすべてをやめて
コントロールしようとする自我を放棄し、
本性にゆだねるのです。

 

 

本性を信頼し、思い出し、
自分の中にすべての答え、種があると信頼していく・・・

 

 

自我を自分自身であると錯覚し、同一化していますが、
自我は錯覚だという観点に立ち、
自我の声をまともに信頼しないようにします。

 

 

自我は、「私にはできない」
「私はダメな存在だ」などと言います。

 

 

自我を信頼して、その考えに陥るのではなく、
俯瞰するようにしてみます。

 

 

これは、自我をないがしろにするという意味ではなく、
自我に囚われないようにするのです。

 

 

自我は、自我の観点から声を発します。

 

 

この自我の声は、自我の観点に過ぎないという視点で
見るようにするのです。

 

 

例えば、自我が
「私には自信がない」
「自分のことを信頼できない」と言ったとしても、

 

 

「私には自信がない」
と自分のことを私は思っているんだな〜

 

 

「自分のことを信頼できない」
と自分のことを私は思っているんだな〜

 

 

それは自我の観点に過ぎない
という視点で見ます。

 

 

現実において、自信が持てる体験を積み重ねて、
自信を得て行くのも一つの道ですが、
外側の体験から自信を得て、自分を信頼するゲームは、
自我が創り出す信頼の欠如を埋め続けるレースをすることになり、
永遠に続く、不毛な道になります。

 

 

自我が自信を得るために
現実をコントロールするのではなく、
逆に自我を手放し、本性にゆだねるとき、
絶対的な信頼がやってきます。

 

 

 

2017年1/14(土)、15(日)に千葉・流山にて
悟りクラス・悟りガイダンス2daysを開催いたします。

 

 

悟りに関心をお持ちの方、
私の本性を思い出したい方、是非お越しください。

 

 

2017年1/9(月・祝)に東京・表参道にて、
New Year’s Partyを行います。

2017年2、3月分のメッセージの公開収録も行います。

 

 

新年をご一緒に祝いましょう!

 

 

 

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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 03:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑誌スターピープルに私のインタビューが掲載されました!


こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 






12/1発売の雑誌スターピープル(ナチュラルスピリット発行)に
私のインタビューが掲載されました!

 

 

自分の記事が載った雑誌を見ると、単純に嬉しいです。

 

イルカのように生きて悟ることやDolphinist Academyについて、
私の悟り体験など、インタビューの内容が書かれています。

 

近日には、ナチュラルスピリット社から弊著・悟りハンドブック(仮題)が
出版される予定で、その経緯なども書かれています。



御一読いただけましたら幸いです。


Amazonからも、ご購入いただけます。

 



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
自我というフィルターから自由になる
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 


10月はイタリアを1ヶ月間、暮らすように旅をし、
楽しい時間を過ごすことができました。


イタリアでは、アマルフィ、ローマ、
トスカーナ、フィレンツェの4か所に滞在して、
様々な都市や観光地を訪れ、
たくさんの美しい風景や建物、
その土地のおいしい料理を楽しみました。


また、イタリアの方々の営みや生活、
古くからある習慣や文化に触れたり、
体験することができました。

 


日本にも、イタリアにも、古い歴史があります。


イタリアは私にとって外国なので、
1ヶ月もの間、外国で過ごすことによって、
日本との違いを肌で体験することができました。


歴史というのは、その国の習慣や文化、
そして精神を創り出し、それが国民性となっています。


それはその国にとって大きな財産ですが、
同時に、そこに住んでいる人は、良くも悪くも、
その歴史に囚われることになります。


これは、どこかの国が特別に囚われていると
批判しているのではなく、
すべての国に歴史や物語があり、
それに少なからず縛られるということです。


自分の国の習慣や文化、精神は、
当たり前過ぎて自覚しにくいのですが、
外国で過ごすことで自分の国の習慣や文化、精神に
どれだけ囚われているかを強烈に体験することができます。


これは、個性の違う人と過ごすことで、
自分の個性を自覚できるのと似ています。


異なる自我同士が触れ合うことで、摩擦を創り出し、
自覚が加速するのです。


今回、イタリアで過ごすことによって、
日本の習慣や文化、精神によって創り出した自我を
たくさん自覚する機会がありました。


だからと言って、その囚われを手放すつもりはなく、
愛していますが・・・(笑)



自我は「私が私だと思い込んでいる」ものです。


自我は、「私が私だ」と考えている「考え」に過ぎないものですが、
多くの方が、それに囚われ、振り回されて生活しています。


「私が私だ」という「考え」は、
「私」を規定し、限定し、制限し、枠に収めるものです。


「いやいや、私はクリエイティブで、何でもできるから、
何の制限もない」
とおっしゃられる方もいらしゃるでしょう。


しかし、その場合も
「私はクリエイティブで、何でもできる」
という「自己イメージ」「考え」に規定され、制限されているのです。


たとえポジティブな自己イメージであっても、
それは規定や制限であることには変わりがないのです。


このように自我は、性格や今までの経験などから
「私はこういう人である」という「考え」の集合体です。


この「考え」が「私」を規定し、制限します。


そして、この自我が感情や欲望を創り出します。


自我は「私はこういう人である」という
「考え」に過ぎないと書きました。


これはどういうことかというと、
自我は「考え」に過ぎないので、
実体がなく、幻想だということです。


自我にとっては、自我を「私」だと思い込み、
同一化させているので、
自我が「考え」に過ぎないと言われても
にわかに信じがたく、受け入れることができません。


しかし、外国の習慣や文化、精神に触れたり、
違う個性を持った人と触れることで、自分が創り出している
自我を自覚することができます。


この観点から見れば、外国や他人が存在している理由は、
自我を自覚するためだと言えます。
 


しかし、せっかくの自覚の機会であっても、
自我は何らかの摩擦があると、
摩擦に抵抗し、自我を防衛、強化しようとして、
変化を望まず、自我を手放そうとはしません。


そして、結果的に緩慢な進化になります。


これは、本来の「私」について知らないために起こることです。


緩慢な進化ではいけないと言っているわけではありませんが、
バスに乗って行くのではなく、ロケットに乗って進んで行く
方法もあります。


それは、自我にフォーカスするのではなく、
ダイレクトに本来の「私」を知っていくことです。


では、本来の「私」とは一体、何なのでしょうか?


それは、一言で言ってしまえば、
どのような「考え」によっても規定されたり、
限定されることのない創造性です。


それは神性と言い換えることもできます。


もし、創造性の私を規定し、限定しようと試みても、
創造性は、創造物からは何らの影響も受けないので、
何の意味もなしません。


自我は、創造性によって創られる創造物であり、
創られる「考え」です。


自我は、創造主によって魂を吹き込まれ、
存在しているに過ぎないのです。


思考、感情、感覚、欲求などすべては、
創造主が存在せしめているに過ぎないのです。


本来の「私」は、自我ではなく創造主である・・・


本来の「私」である創造主は、何者でもなく、
何者にもなりえるものです。


しかし、自我がある限り、自我に囚われて、
自我のフィルターを通して宇宙を見ようとします。


自我は、堅個で、永遠に変わらないように感じ、
まるで私を閉じ込める牢獄のように見えます。

 
このように自我は堅固で、変わらないと錯覚しているとき、
この宇宙も堅固で、変わらないように見えます。


この堅固に見える自我という牢獄も
創造主の「私」によって創られた錯覚に過ぎない
ということを見破ること・・・


これが「悟り」です。


そのためには、「私はこういう人である」という自我が
創られた創造物に過ぎないことをはっきり知るのです。
 



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
自我を手放すこと

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。





先日、ヒーラー養成クラス II を開催しました。


こちらのクラスは、
悟りクラスを開催する
何年も前から 開催していましたが、
内容的には「悟り」そのものでした。


私達が、自分自身だと思い込んでいる自我は、
この現実世界の中で何か問題があると、
それを解決して、
そのことから解放され、
気分がよくなることを望みます。


そのために、専門家に相談したり、
癒しやヒーリングを求めます。


多くのヒーリングは、
痛みを抱えている自我に関心を向けて、
自我を愛し、慰めることで、
痛みを少しでも和らげることが
目的となっています。


これによって、痛みが一時的にでも緩和し、
自我が満足することができれば、
素晴らしいことだと思います。


しかし、自我が変わらない限り、
また次の問題を創り出します。


究極的なヒーリングというものがあるとすれば、
それは、その現実を問題にしていたのが
「私」だったということに気づき、


実は、もともと問題がなかった
ということがわかることです。


「私」が問題なんだ!と、握っていただけ、
つまり、「私」が問題としてそれを扱っていただけで、


「私」が問題を手放し、問題にしなければ、
問題は存在しなくなるのです。


問題が「私」と切り離されて存在することはなく、
「私」が問題を創り出しています。


完全な解決を求めるならば、
問題を創り出している自我を手放すことです。



・お金がないこと
・好きな人にふられたこと
・仕事がうまくいかないこと
・人間関係で傷ついたこと



それの何が問題なのか?
「私」に問いかけてみる必要があります。


それらの状況は、ただあるがまま存在するだけです。


外側で問題を解決しようとするのではなく、
それを問題としている自我を手放していく・・・


これは「悟り」に至るためのプロセスそのものです。



ヒーラー養成クラス II で学ぶカウンセリングや退行催眠では、
問題を創り出している自我をクライアントが手放せるように
誘導していきます。


ここでは、自我を手放すと簡単に書いていますが、
自我を手放すことは、とても怖いことで、
苦しく、辛いことです。


当事者であるクライアントの観点から見ると、
問題はリアルで、切迫していて、痛みが伴い、


手放すどころか、
それがあることを認めることさえ難しく、
その自我を手放すことが簡単ではないことがほとんどです。


このことをはっきり理解した上で、
クライアントが自我を手放すのを伴走して、
見守るのがセラピストの役割です。


セラピストにも自我があるので、
セッション中にクライアントをジャッジし、
ありのまま受け入れることに抵抗しますが、
その反応を自覚しています。


究極的にセラピストは、
クライアントをありのまま受け入れ、
クライアントとともに伴走し、
見守ることしかできないのです。


そのとき、同じ創造主として
クライアントを信頼するのです。


そのためには、
セラピスト自身が創造主であることを信頼し、
確信することが重要になります。


このように自我を手放し、
創造主にゆだねるように誘導することで、
クライアントの自我の想像を遥かに超える
癒し、問題解決が起こってきます。


ドルフィニスト篤、綾子が行うセッションでは、
奇跡的な癒しがいつも起こり、
クライアントも驚いています。





今、イタリア・アマルフィに来ていますが、
ここは目の前に青い海が広がり、気候も温暖で、
楽園のようなところです。


ここに住めば、免罪符のように
すべての問題がなくなってしまうのではないかという
錯覚が生まれるような所です。


しかし、実際にここに滞在してみればわかりますが、
問題は自我が創るのであって、
住む場所や環境が問題を解決してくれるわけではありません。


自我が変わらなければ、日本にいる時と同じように
自分が創り出す馴染みのある問題が存在することになります。



11/13(日)から開催する悟りクラスでは、
問題を創り出しているのが「私」であるということを
はっきり理解し、「悟り」を得ていきます。


そのために、13(日)、14(月)の
「悟りガイダンス2days」では、
まず「悟り」の全体像を理解していき、
どのように「私」について知っていくかをガイダンスいたします。


これは、ヒーリングやセラピーの域を超えたものです。


日常において、何か物足りなさを感じているけれど、
どうすればよいか分からないという方は、
何かによって、一時的に紛らせることはできても、
最終的には、「悟り」の中にしか答えを見つけることはできないでしょう。


そのことをあなた自身もどこかでわかっているはずです。


「悟り」というキーワードに違和感があるかもしれませんが、
あなたが求めているものは、ここにあるでしょう。


この機会に是非、悟りクラスを受講してみるのはいかがでしょうか?



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 05:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
「悟り」は、エゴ・自我意識の死

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 



先日、伊勢で行った悟りグループシェアでは、
「私」を降ろすことがテーマになりました。

 
すべての現実、状況、状態を「私」が創り出していることを
深く確信することが「悟り」ですが、
 

「悟り」を深めていく次の段階としては、
すべてを「私」が創り出していると確信した上で、
「私」が「私」自身だと思い込んできた
エゴ・自我意識を降ろし、手放していきます。

 
エゴ・自我意識を降ろし、手放すには、
「私」が「私」だと思い込んできたことが、
実体がなく、「考え」に過ぎないという自覚が
伴っていなければいけません。


エゴ・自我意識には、
「ああだ」「こうだ」というポリシーや主張があり、
「あれしたい」「これしたい」という「欲」や執着があり、
心の癖、習慣があります。


「悟り」を深めようという意志があるならば、
それらを「私」自身ではない!と自ら降ろしていくのです。


相手の話を聞くとき、「私」の言いたいことを降ろして、
相手の話を受け入れてみます。


相手と協調して、何かを遂行しようとするとき、
「私」がやりたいことを降ろし、
相手のやりたいことを受け入ることもあります。


「私」を降ろし、相手に譲るわけです。

 
目の前の現実は起こっているだけだと、
ただ受け入れ、
「自分だったらこうする!」という
今までのスタイルや生き方を降ろします。


自然に、「私」が執着していることや「欲」を
手放すことになるでしょう。


「私」の意見や主張を言わず、
やりたいことをせずに「私」を降ろすことは、
我慢することと同じように感じると思います。


しかし、「私」を降ろすときは、
現実の犠牲になるのではなく、
主人として、自ら能動的に降ろすのです。


自ら能動的に降ろすためには、
「私」に感謝し、「私」が幸せで、
満ちていることが重要です。


不幸せで、不足感があるときに、
「私」を降ろすことに無理があり、
ただ我慢することになってしまいます。


幸せを外側から得ようとしているとき、
一時的に得たとしても、すぐに消え去り、
幸せな状態は続きません。


「私」が「私」に与えることで、
永続的な幸せがやってきて、
感謝する心が生まれます。


外側に何かがあるから、
何かをしたから ということに関係なく、
「私」が存在するだけで幸せで、感謝することができます。


幸せや感謝は外側からやってくるのではないのです。


「欲」や願望が達成されないから、
「私」は不幸せだと思っているかもしれませんが、
逆に「欲」や願望に振り回されているから
不幸せなのだということに早く気がつくことです。


そうすると、
「あれをやりたい」「これを言いたい」と主張する
エゴ・自我意識にこだわる必要がなくなってきます。


今まで「私」が「私」だと意味づけし、
「私」自身だと思い込み、
こだわってきたことを手放すのです。


今まで大切にし、こだわってきたことを手放すことは、
辛いし、悲しことかもしれませんが、
それらは「私」自身ではなく、
実体がないものだと自覚します。


エゴ・自我意識に対するこだわりを自ら捨てず、
手放そうとしないとき、
手放すための現実を「私」が引き起こす(創造する)こともあります。


そうなる前に「私」から手放してみるのです。



「悟り」は、エゴ・自我意識の「私」が死ぬことでもあります。


肉体の死は、
エゴ・自我意識の意志とは関係なくやってきますが、
「悟り」は、自らの意志で手放して、エゴ・自我意識が死ぬのです。


「私」自身だと信じてきた
人格、キャラクター、生き方、スタイルなどを
果敢に手放してみましょう!




8月は、私達も淡路島・イルカ村プロジェクトとして、
イルカ仲間と一緒に土地を探しに行きました。


土地を探しながら明確になってきたのが、
イルカ村においては、仲間と共に「悟り」を深めることが目的であること。


その目的のために、仲間が集える場所を創るというものでした。


これが最も優先されること。


そして、その仲間と共に、少し人里離れた所で、
食料やエネルギーを外部になるべく依存せず、
自給自足する生活を目指していく・・・


これは精神的な自立・自由とも繋がっています。


更に、その仲間と共に海の見える場所で、
日々、歌い、踊るような
イルカ的な生活をしていくのです。


このためには、
今までのスタイルや生き方を手放す必要がありますが、
私達はやっていきたいと思っています。


このような淡路島の土地あるいは物件の情報をお持ちの方、
是非、教えていただければ幸いです。


 


 

 

 




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ドルフィニスト篤



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヨガナンダの生涯を描いた映画「永遠のヨギー」を見て
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。




 
暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 
昨日、「あるヨギの自叙伝」で有名なヨガナンダの
生涯を描いた映画「永遠のヨギー 〜ヨガをめぐる奇跡の旅〜」
を見ました。

 
彼は、インド人がほとんどいなかった1920年代のアメリカに
奇異な目で見られながらも、単身で乗り込んで、
ヨガや瞑想を伝え、多くの支持者を得て、
スピリチュアルの分野において、たくさんの功績を残されました。

 
彼はヨガを世界に広め、「西洋のヨガの父」と呼ばれています。

 
当時のアメリカは、科学技術が花開き、
多くの人が物質文明の恩恵を享受し始めた時代でした。

 
多くの人が物質文明に魅了されていた時代に
精神的な教えが広く受け入れられたことにも驚きますが、
映画を見て、これも起こるべくして起こったのだと思いました。

 
彼の中にずっとあったのは、未来を見通して
人類がこのまま物質文明ばかりに目を向けていれば、
人類が破滅してしまうという危機感であり、
世界の平和、人類の調和に対する願いでした。

 
彼が生きている間に2度の世界大戦があり、
人類が核兵器を持つに至りました。

 
本当はヒマラヤの山奥で静かに瞑想していたい彼が、
当時最もスピリチュアリティとはかけ離れているように見える
アメリカで過ごすことは、彼の中にも葛藤があったようですが、
何があっても、最後は自分の使命を受け入れる姿に感動します。

 
彼の伝道生活がずっと順風だったわけではなく、
マスコミによるバッシングによって、人が離れることもあったようです。

 
流行にのって、興味本位でヨガや瞑想をしている人が多かったので、
マスコミのバッシングなどがあれば簡単に離れてしまうわけです。

 
ヨガや瞑想の真髄を理解し、それをやり通そうとする人は稀です。

 
これは、アメリカであろうと、インドであろうと、
精神的風土は違っても、同じだと思います。

 
それでも、すべてを投げ出して、人生をかけて
精神的な道に入りたいという一部の人も現れました。

 
私も「悟り」を伝える立場として、
彼と共感するところがたくさんあるのですが、
自分の心と真摯に向き合い、真に「悟り」を求める人が少ない中で、
「悟り」に対して情熱を持ってくれる人が現れることは
本当に嬉しいと思います。

 
人生において、どこに関心と情熱を向けるかで、
人生が決まります。

 
これは個人の願いだけでなく、「神」の願いでもあるからです。


実際に、彼が具体的にどのような教えをしたかという話は
​あまりありませんでしたが、
ヨガナンダという人物に興味を持たれた方は、
是非見に行ってください。

 
上映期間と場所が限られていますので、
よく調べてくださいね。


公開収録のあとに、伊勢の町内会主催の盆踊りにおいて、
町内会のご厚意によって
イルカくん音頭を踊れることになりました!
 
こちらも合わせてご参加ください。
ドルフィニスト篤



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「私」を愛することと、「私」を降ろすことについて

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 


最近、雨の日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?


このブログを読まれている方は、自覚について
よく知っていらっしゃる方が多いと思います。


自覚を実践されている方は、
「私」だけを見るようにし、「私」がしたいことをして、
「私」を愛することをされていると思います。


このように、貪欲に「私」のためにすることが
「悟り」への近道になります。


やりたいことがあるならば、思う存分やるべきでしょう。


それが、「私」を大切にし、「私」に対する敬意を表すことです。


ただ、「私」を愛することをずっとやり続けられ、
「私」に関心を向ける習慣が根付いたという方も
いらっしゃると思います。

 
そして、「私」の欲を満たすことの繰り返しに
飽き飽きした方もいらっしゃると思います。


「私」が創り出す欲は、
満たしても満たしても次が生じ、際限がありません。


「私」の欲にまじめに付き合うのも、
いい加減、勘弁して欲しい・・・


あるいは、
自分の欲を満たすことはなかなか叶わず、
きっぱりと諦め、
欲から離れたいという方もいらっしゃるでしょう。


このように、自分の欲に振り回されることに
うんざりしているという方は、
次の段階に行く準備のできた方です。


年齢を重ねれば、
毎日が同じことの繰り返しのように感じ、
若い時のように、
目の前の現実にあまり関心が持てなくなるのは
自然なことです。


私達は何度も輪廻を繰り返す中で、
ほとんどのことを充分に経験してきたという
感覚がある方も多いと思います。


もし、そうであるならば、
「私」の意志を使って、欲を手放し、
「私」を降ろしてみるのはいかがでしょうか?


欲はエゴ・自我意識から生じます。


「私」は 〜をしたい!
「私」は 〜が欲しい!


エゴ・自我意識は、存在意義を欲しがり、
やったという達成感を欲しがり、所有したがります。


そして、外側のあらゆる対象に執着します。


それらの欲を満たすために巧みに計算します。


このようにして、
エゴ・自我意識は自己中心的に
動こうとします。


これは、別に悪いことではありません。


この自由意志の世界では、
「私」を大いに体験するべきです。


そのために来たのですから・・・


しかし、それに飽きたのであれば、
もうそれ以上続ける必要はなく、
続ける義務もないのです。


創造主の「私」は、
欲が叶おうが、叶わなかろうが、
その影響を受けません。


ただ、エゴ・自我意識の「私」にとっては
存続の危機を感じるほど大きい場合があります。


欲が叶おうが、叶わなかろうが
影響を受けなくなっているのであれば、
エゴ・自我意識の主張がなくなり、
エゴ・自我意識が薄くなってきた証拠です。


エゴ・自我意識を降ろす準備ができた方は
どんどん降ろしていきましょう。



エゴ・自我意識を降ろすには、
欲や執着を自覚しながらも
エゴ・自我意識を説得し、
答えないようにします。


「私」の願いを叶えないのです。


欲や執着は、
エゴ・自我意識が創りますが、
これらはエゴ・自我意識から生まれた
「考え」であって、実体がないので、
それに惑わされないようにするのです。


「私」だと信じてきたエゴ・自我意識を勇気を持って
降ろせば降ろすほど軽くなり、
現実において問題がなくなります。


執着を手放し、
エゴ・自我意識を降ろすようになると、
「悟り」を速めることになります。


ただ、気をつけなければいけないのは、
これは強制されて行うことではなく、
「これがいいことなんだ!」と、
盲目的に行うのではなく、
自覚を持って、慎重に行うべきです。


充分に「私」を愛し、受容し、抱擁していないのに行うと、
ただ不満とストレスと文句が蓄積するばかりです。


あくまで、そうしたい「私」のために
自発的に行うものです。


自発的に自分の欲望や願いを
叶えないという選択をし、
そんな「私」を手なずけますが、
それでも、創造主の「私」は何も影響を受けません。


欲が叶わない現実を受け入れることで、
ハートを開いていくのです。


この方法で「悟り」に至るには、
自発的にハートを開くことが鍵です。


「私」を降ろすことを強制されてやっても、
エゴ・自我意識は我慢ばかりさせられて、
不満になり、恨みを持つだけで、
「悟り」も得られないという結果になります。


「悟り」は、ただ期待して待っていてもやってきません。


「悟り」を期待するエゴ・自我意識を降ろすことでやってきます。


「私」がどうしたいかをよく見極め、心に正直にしましょう。


そして、妥協しないことです。


同じ価値観を共有しているように見えても、
人それぞれの魂の道があるので、
違う道を行こうとする人がいれば許してあげましょう。


そして、「悟り」を共有できる「今」を大切にします。


究極の「悟り」は、すべての人、宇宙を
ただあるがまま許容し、包容することです。


しかし、「悟り」に向かって努力したことは、結果に関わらず、
魂に刻まれることでしょう。


********


スピリチュアルTVを主宰されていたテディさん(小泉義仁さん)が
6/25に亡くなられました。


16年前に出会って以来、私達の活動をずっと理解し、
応援してくださりました。


すぴこん等のイベントでは講演をさせていただいたり、
スピリチュアルTVで、毎月のメッセージの動画を配信してくださり、
またスピリチュアルTVの生放送に出演させていただきました。


また、101キャンドルライトの海外ツアーでは、
あちこち行って遊んだりと公私ともにお世話になりました。


とても残念で、寂しいです。


人生の儚さを感じるとともに、日々を大切に生きたいと思いました。


テディさんには感謝しかありません。


ご冥福をお祈りいたします。



7/16(土)、17(日)に千葉・流山にて、
ドルフィニスト篤



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