スピリチュアル雑記

悟りカウンセラー・ドルフィニスト篤 が、悟りの観点からの気づきを綴ります。
雑誌スターピープルに私のインタビューが掲載されました!


こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 






12/1発売の雑誌スターピープル(ナチュラルスピリット発行)に
私のインタビューが掲載されました!

 

 

自分の記事が載った雑誌を見ると、単純に嬉しいです。

 

イルカのように生きて悟ることやDolphinist Academyについて、
私の悟り体験など、インタビューの内容が書かれています。

 

近日には、ナチュラルスピリット社から弊著・悟りハンドブック(仮題)が
出版される予定で、その経緯なども書かれています。



御一読いただけましたら幸いです。


Amazonからも、ご購入いただけます。

 



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
自我というフィルターから自由になる
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 


10月はイタリアを1ヶ月間、暮らすように旅をし、
楽しい時間を過ごすことができました。


イタリアでは、アマルフィ、ローマ、
トスカーナ、フィレンツェの4か所に滞在して、
様々な都市や観光地を訪れ、
たくさんの美しい風景や建物、
その土地のおいしい料理を楽しみました。


また、イタリアの方々の営みや生活、
古くからある習慣や文化に触れたり、
体験することができました。

 


日本にも、イタリアにも、古い歴史があります。


イタリアは私にとって外国なので、
1ヶ月もの間、外国で過ごすことによって、
日本との違いを肌で体験することができました。


歴史というのは、その国の習慣や文化、
そして精神を創り出し、それが国民性となっています。


それはその国にとって大きな財産ですが、
同時に、そこに住んでいる人は、良くも悪くも、
その歴史に囚われることになります。


これは、どこかの国が特別に囚われていると
批判しているのではなく、
すべての国に歴史や物語があり、
それに少なからず縛られるということです。


自分の国の習慣や文化、精神は、
当たり前過ぎて自覚しにくいのですが、
外国で過ごすことで自分の国の習慣や文化、精神に
どれだけ囚われているかを強烈に体験することができます。


これは、個性の違う人と過ごすことで、
自分の個性を自覚できるのと似ています。


異なる自我同士が触れ合うことで、摩擦を創り出し、
自覚が加速するのです。


今回、イタリアで過ごすことによって、
日本の習慣や文化、精神によって創り出した自我を
たくさん自覚する機会がありました。


だからと言って、その囚われを手放すつもりはなく、
愛していますが・・・(笑)



自我は「私が私だと思い込んでいる」ものです。


自我は、「私が私だ」と考えている「考え」に過ぎないものですが、
多くの方が、それに囚われ、振り回されて生活しています。


「私が私だ」という「考え」は、
「私」を規定し、限定し、制限し、枠に収めるものです。


「いやいや、私はクリエイティブで、何でもできるから、
何の制限もない」
とおっしゃられる方もいらしゃるでしょう。


しかし、その場合も
「私はクリエイティブで、何でもできる」
という「自己イメージ」「考え」に規定され、制限されているのです。


たとえポジティブな自己イメージであっても、
それは規定や制限であることには変わりがないのです。


このように自我は、性格や今までの経験などから
「私はこういう人である」という「考え」の集合体です。


この「考え」が「私」を規定し、制限します。


そして、この自我が感情や欲望を創り出します。


自我は「私はこういう人である」という
「考え」に過ぎないと書きました。


これはどういうことかというと、
自我は「考え」に過ぎないので、
実体がなく、幻想だということです。


自我にとっては、自我を「私」だと思い込み、
同一化させているので、
自我が「考え」に過ぎないと言われても
にわかに信じがたく、受け入れることができません。


しかし、外国の習慣や文化、精神に触れたり、
違う個性を持った人と触れることで、自分が創り出している
自我を自覚することができます。


この観点から見れば、外国や他人が存在している理由は、
自我を自覚するためだと言えます。
 


しかし、せっかくの自覚の機会であっても、
自我は何らかの摩擦があると、
摩擦に抵抗し、自我を防衛、強化しようとして、
変化を望まず、自我を手放そうとはしません。


そして、結果的に緩慢な進化になります。


これは、本来の「私」について知らないために起こることです。


緩慢な進化ではいけないと言っているわけではありませんが、
バスに乗って行くのではなく、ロケットに乗って進んで行く
方法もあります。


それは、自我にフォーカスするのではなく、
ダイレクトに本来の「私」を知っていくことです。


では、本来の「私」とは一体、何なのでしょうか?


それは、一言で言ってしまえば、
どのような「考え」によっても規定されたり、
限定されることのない創造性です。


それは神性と言い換えることもできます。


もし、創造性の私を規定し、限定しようと試みても、
創造性は、創造物からは何らの影響も受けないので、
何の意味もなしません。


自我は、創造性によって創られる創造物であり、
創られる「考え」です。


自我は、創造主によって魂を吹き込まれ、
存在しているに過ぎないのです。


思考、感情、感覚、欲求などすべては、
創造主が存在せしめているに過ぎないのです。


本来の「私」は、自我ではなく創造主である・・・


本来の「私」である創造主は、何者でもなく、
何者にもなりえるものです。


しかし、自我がある限り、自我に囚われて、
自我のフィルターを通して宇宙を見ようとします。


自我は、堅個で、永遠に変わらないように感じ、
まるで私を閉じ込める牢獄のように見えます。

 
このように自我は堅固で、変わらないと錯覚しているとき、
この宇宙も堅固で、変わらないように見えます。


この堅固に見える自我という牢獄も
創造主の「私」によって創られた錯覚に過ぎない
ということを見破ること・・・


これが「悟り」です。


そのためには、「私はこういう人である」という自我が
創られた創造物に過ぎないことをはっきり知るのです。
 



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
自我を手放すこと

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。





先日、ヒーラー養成クラス II を開催しました。


こちらのクラスは、
悟りクラスを開催する
何年も前から 開催していましたが、
内容的には「悟り」そのものでした。


私達が、自分自身だと思い込んでいる自我は、
この現実世界の中で何か問題があると、
それを解決して、
そのことから解放され、
気分がよくなることを望みます。


そのために、専門家に相談したり、
癒しやヒーリングを求めます。


多くのヒーリングは、
痛みを抱えている自我に関心を向けて、
自我を愛し、慰めることで、
痛みを少しでも和らげることが
目的となっています。


これによって、痛みが一時的にでも緩和し、
自我が満足することができれば、
素晴らしいことだと思います。


しかし、自我が変わらない限り、
また次の問題を創り出します。


究極的なヒーリングというものがあるとすれば、
それは、その現実を問題にしていたのが
「私」だったということに気づき、


実は、もともと問題がなかった
ということがわかることです。


「私」が問題なんだ!と、握っていただけ、
つまり、「私」が問題としてそれを扱っていただけで、


「私」が問題を手放し、問題にしなければ、
問題は存在しなくなるのです。


問題が「私」と切り離されて存在することはなく、
「私」が問題を創り出しています。


完全な解決を求めるならば、
問題を創り出している自我を手放すことです。



・お金がないこと
・好きな人にふられたこと
・仕事がうまくいかないこと
・人間関係で傷ついたこと



それの何が問題なのか?
「私」に問いかけてみる必要があります。


それらの状況は、ただあるがまま存在するだけです。


外側で問題を解決しようとするのではなく、
それを問題としている自我を手放していく・・・


これは「悟り」に至るためのプロセスそのものです。



ヒーラー養成クラス II で学ぶカウンセリングや退行催眠では、
問題を創り出している自我をクライアントが手放せるように
誘導していきます。


ここでは、自我を手放すと簡単に書いていますが、
自我を手放すことは、とても怖いことで、
苦しく、辛いことです。


当事者であるクライアントの観点から見ると、
問題はリアルで、切迫していて、痛みが伴い、


手放すどころか、
それがあることを認めることさえ難しく、
その自我を手放すことが簡単ではないことがほとんどです。


このことをはっきり理解した上で、
クライアントが自我を手放すのを伴走して、
見守るのがセラピストの役割です。


セラピストにも自我があるので、
セッション中にクライアントをジャッジし、
ありのまま受け入れることに抵抗しますが、
その反応を自覚しています。


究極的にセラピストは、
クライアントをありのまま受け入れ、
クライアントとともに伴走し、
見守ることしかできないのです。


そのとき、同じ創造主として
クライアントを信頼するのです。


そのためには、
セラピスト自身が創造主であることを信頼し、
確信することが重要になります。


このように自我を手放し、
創造主にゆだねるように誘導することで、
クライアントの自我の想像を遥かに超える
癒し、問題解決が起こってきます。


ドルフィニスト篤、綾子が行うセッションでは、
奇跡的な癒しがいつも起こり、
クライアントも驚いています。





今、イタリア・アマルフィに来ていますが、
ここは目の前に青い海が広がり、気候も温暖で、
楽園のようなところです。


ここに住めば、免罪符のように
すべての問題がなくなってしまうのではないかという
錯覚が生まれるような所です。


しかし、実際にここに滞在してみればわかりますが、
問題は自我が創るのであって、
住む場所や環境が問題を解決してくれるわけではありません。


自我が変わらなければ、日本にいる時と同じように
自分が創り出す馴染みのある問題が存在することになります。



11/13(日)から開催する悟りクラスでは、
問題を創り出しているのが「私」であるということを
はっきり理解し、「悟り」を得ていきます。


そのために、13(日)、14(月)の
「悟りガイダンス2days」では、
まず「悟り」の全体像を理解していき、
どのように「私」について知っていくかをガイダンスいたします。


これは、ヒーリングやセラピーの域を超えたものです。


日常において、何か物足りなさを感じているけれど、
どうすればよいか分からないという方は、
何かによって、一時的に紛らせることはできても、
最終的には、「悟り」の中にしか答えを見つけることはできないでしょう。


そのことをあなた自身もどこかでわかっているはずです。


「悟り」というキーワードに違和感があるかもしれませんが、
あなたが求めているものは、ここにあるでしょう。


この機会に是非、悟りクラスを受講してみるのはいかがでしょうか?



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 05:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
「悟り」は、エゴ・自我意識の死

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 



先日、伊勢で行った悟りグループシェアでは、
「私」を降ろすことがテーマになりました。

 
すべての現実、状況、状態を「私」が創り出していることを
深く確信することが「悟り」ですが、
 

「悟り」を深めていく次の段階としては、
すべてを「私」が創り出していると確信した上で、
「私」が「私」自身だと思い込んできた
エゴ・自我意識を降ろし、手放していきます。

 
エゴ・自我意識を降ろし、手放すには、
「私」が「私」だと思い込んできたことが、
実体がなく、「考え」に過ぎないという自覚が
伴っていなければいけません。


エゴ・自我意識には、
「ああだ」「こうだ」というポリシーや主張があり、
「あれしたい」「これしたい」という「欲」や執着があり、
心の癖、習慣があります。


「悟り」を深めようという意志があるならば、
それらを「私」自身ではない!と自ら降ろしていくのです。


相手の話を聞くとき、「私」の言いたいことを降ろして、
相手の話を受け入れてみます。


相手と協調して、何かを遂行しようとするとき、
「私」がやりたいことを降ろし、
相手のやりたいことを受け入ることもあります。


「私」を降ろし、相手に譲るわけです。

 
目の前の現実は起こっているだけだと、
ただ受け入れ、
「自分だったらこうする!」という
今までのスタイルや生き方を降ろします。


自然に、「私」が執着していることや「欲」を
手放すことになるでしょう。


「私」の意見や主張を言わず、
やりたいことをせずに「私」を降ろすことは、
我慢することと同じように感じると思います。


しかし、「私」を降ろすときは、
現実の犠牲になるのではなく、
主人として、自ら能動的に降ろすのです。


自ら能動的に降ろすためには、
「私」に感謝し、「私」が幸せで、
満ちていることが重要です。


不幸せで、不足感があるときに、
「私」を降ろすことに無理があり、
ただ我慢することになってしまいます。


幸せを外側から得ようとしているとき、
一時的に得たとしても、すぐに消え去り、
幸せな状態は続きません。


「私」が「私」に与えることで、
永続的な幸せがやってきて、
感謝する心が生まれます。


外側に何かがあるから、
何かをしたから ということに関係なく、
「私」が存在するだけで幸せで、感謝することができます。


幸せや感謝は外側からやってくるのではないのです。


「欲」や願望が達成されないから、
「私」は不幸せだと思っているかもしれませんが、
逆に「欲」や願望に振り回されているから
不幸せなのだということに早く気がつくことです。


そうすると、
「あれをやりたい」「これを言いたい」と主張する
エゴ・自我意識にこだわる必要がなくなってきます。


今まで「私」が「私」だと意味づけし、
「私」自身だと思い込み、
こだわってきたことを手放すのです。


今まで大切にし、こだわってきたことを手放すことは、
辛いし、悲しことかもしれませんが、
それらは「私」自身ではなく、
実体がないものだと自覚します。


エゴ・自我意識に対するこだわりを自ら捨てず、
手放そうとしないとき、
手放すための現実を「私」が引き起こす(創造する)こともあります。


そうなる前に「私」から手放してみるのです。



「悟り」は、エゴ・自我意識の「私」が死ぬことでもあります。


肉体の死は、
エゴ・自我意識の意志とは関係なくやってきますが、
「悟り」は、自らの意志で手放して、エゴ・自我意識が死ぬのです。


「私」自身だと信じてきた
人格、キャラクター、生き方、スタイルなどを
果敢に手放してみましょう!




8月は、私達も淡路島・イルカ村プロジェクトとして、
イルカ仲間と一緒に土地を探しに行きました。


土地を探しながら明確になってきたのが、
イルカ村においては、仲間と共に「悟り」を深めることが目的であること。


その目的のために、仲間が集える場所を創るというものでした。


これが最も優先されること。


そして、その仲間と共に、少し人里離れた所で、
食料やエネルギーを外部になるべく依存せず、
自給自足する生活を目指していく・・・


これは精神的な自立・自由とも繋がっています。


更に、その仲間と共に海の見える場所で、
日々、歌い、踊るような
イルカ的な生活をしていくのです。


このためには、
今までのスタイルや生き方を手放す必要がありますが、
私達はやっていきたいと思っています。


このような淡路島の土地あるいは物件の情報をお持ちの方、
是非、教えていただければ幸いです。


 


 

 

 




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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヨガナンダの生涯を描いた映画「永遠のヨギー」を見て
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。




 
暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 
昨日、「あるヨギの自叙伝」で有名なヨガナンダの
生涯を描いた映画「永遠のヨギー 〜ヨガをめぐる奇跡の旅〜」
を見ました。

 
彼は、インド人がほとんどいなかった1920年代のアメリカに
奇異な目で見られながらも、単身で乗り込んで、
ヨガや瞑想を伝え、多くの支持者を得て、
スピリチュアルの分野において、たくさんの功績を残されました。

 
彼はヨガを世界に広め、「西洋のヨガの父」と呼ばれています。

 
当時のアメリカは、科学技術が花開き、
多くの人が物質文明の恩恵を享受し始めた時代でした。

 
多くの人が物質文明に魅了されていた時代に
精神的な教えが広く受け入れられたことにも驚きますが、
映画を見て、これも起こるべくして起こったのだと思いました。

 
彼の中にずっとあったのは、未来を見通して
人類がこのまま物質文明ばかりに目を向けていれば、
人類が破滅してしまうという危機感であり、
世界の平和、人類の調和に対する願いでした。

 
彼が生きている間に2度の世界大戦があり、
人類が核兵器を持つに至りました。

 
本当はヒマラヤの山奥で静かに瞑想していたい彼が、
当時最もスピリチュアリティとはかけ離れているように見える
アメリカで過ごすことは、彼の中にも葛藤があったようですが、
何があっても、最後は自分の使命を受け入れる姿に感動します。

 
彼の伝道生活がずっと順風だったわけではなく、
マスコミによるバッシングによって、人が離れることもあったようです。

 
流行にのって、興味本位でヨガや瞑想をしている人が多かったので、
マスコミのバッシングなどがあれば簡単に離れてしまうわけです。

 
ヨガや瞑想の真髄を理解し、それをやり通そうとする人は稀です。

 
これは、アメリカであろうと、インドであろうと、
精神的風土は違っても、同じだと思います。

 
それでも、すべてを投げ出して、人生をかけて
精神的な道に入りたいという一部の人も現れました。

 
私も「悟り」を伝える立場として、
彼と共感するところがたくさんあるのですが、
自分の心と真摯に向き合い、真に「悟り」を求める人が少ない中で、
「悟り」に対して情熱を持ってくれる人が現れることは
本当に嬉しいと思います。

 
人生において、どこに関心と情熱を向けるかで、
人生が決まります。

 
これは個人の願いだけでなく、「神」の願いでもあるからです。


実際に、彼が具体的にどのような教えをしたかという話は
​あまりありませんでしたが、
ヨガナンダという人物に興味を持たれた方は、
是非見に行ってください。

 
上映期間と場所が限られていますので、
よく調べてくださいね。


公開収録のあとに、伊勢の町内会主催の盆踊りにおいて、
町内会のご厚意によって
イルカくん音頭を踊れることになりました!
 
こちらも合わせてご参加ください。
ドルフィニスト篤



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 14:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
「私」を愛することと、「私」を降ろすことについて

こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。

 


最近、雨の日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?


このブログを読まれている方は、自覚について
よく知っていらっしゃる方が多いと思います。


自覚を実践されている方は、
「私」だけを見るようにし、「私」がしたいことをして、
「私」を愛することをされていると思います。


このように、貪欲に「私」のためにすることが
「悟り」への近道になります。


やりたいことがあるならば、思う存分やるべきでしょう。


それが、「私」を大切にし、「私」に対する敬意を表すことです。


ただ、「私」を愛することをずっとやり続けられ、
「私」に関心を向ける習慣が根付いたという方も
いらっしゃると思います。

 
そして、「私」の欲を満たすことの繰り返しに
飽き飽きした方もいらっしゃると思います。


「私」が創り出す欲は、
満たしても満たしても次が生じ、際限がありません。


「私」の欲にまじめに付き合うのも、
いい加減、勘弁して欲しい・・・


あるいは、
自分の欲を満たすことはなかなか叶わず、
きっぱりと諦め、
欲から離れたいという方もいらっしゃるでしょう。


このように、自分の欲に振り回されることに
うんざりしているという方は、
次の段階に行く準備のできた方です。


年齢を重ねれば、
毎日が同じことの繰り返しのように感じ、
若い時のように、
目の前の現実にあまり関心が持てなくなるのは
自然なことです。


私達は何度も輪廻を繰り返す中で、
ほとんどのことを充分に経験してきたという
感覚がある方も多いと思います。


もし、そうであるならば、
「私」の意志を使って、欲を手放し、
「私」を降ろしてみるのはいかがでしょうか?


欲はエゴ・自我意識から生じます。


「私」は 〜をしたい!
「私」は 〜が欲しい!


エゴ・自我意識は、存在意義を欲しがり、
やったという達成感を欲しがり、所有したがります。


そして、外側のあらゆる対象に執着します。


それらの欲を満たすために巧みに計算します。


このようにして、
エゴ・自我意識は自己中心的に
動こうとします。


これは、別に悪いことではありません。


この自由意志の世界では、
「私」を大いに体験するべきです。


そのために来たのですから・・・


しかし、それに飽きたのであれば、
もうそれ以上続ける必要はなく、
続ける義務もないのです。


創造主の「私」は、
欲が叶おうが、叶わなかろうが、
その影響を受けません。


ただ、エゴ・自我意識の「私」にとっては
存続の危機を感じるほど大きい場合があります。


欲が叶おうが、叶わなかろうが
影響を受けなくなっているのであれば、
エゴ・自我意識の主張がなくなり、
エゴ・自我意識が薄くなってきた証拠です。


エゴ・自我意識を降ろす準備ができた方は
どんどん降ろしていきましょう。



エゴ・自我意識を降ろすには、
欲や執着を自覚しながらも
エゴ・自我意識を説得し、
答えないようにします。


「私」の願いを叶えないのです。


欲や執着は、
エゴ・自我意識が創りますが、
これらはエゴ・自我意識から生まれた
「考え」であって、実体がないので、
それに惑わされないようにするのです。


「私」だと信じてきたエゴ・自我意識を勇気を持って
降ろせば降ろすほど軽くなり、
現実において問題がなくなります。


執着を手放し、
エゴ・自我意識を降ろすようになると、
「悟り」を速めることになります。


ただ、気をつけなければいけないのは、
これは強制されて行うことではなく、
「これがいいことなんだ!」と、
盲目的に行うのではなく、
自覚を持って、慎重に行うべきです。


充分に「私」を愛し、受容し、抱擁していないのに行うと、
ただ不満とストレスと文句が蓄積するばかりです。


あくまで、そうしたい「私」のために
自発的に行うものです。


自発的に自分の欲望や願いを
叶えないという選択をし、
そんな「私」を手なずけますが、
それでも、創造主の「私」は何も影響を受けません。


欲が叶わない現実を受け入れることで、
ハートを開いていくのです。


この方法で「悟り」に至るには、
自発的にハートを開くことが鍵です。


「私」を降ろすことを強制されてやっても、
エゴ・自我意識は我慢ばかりさせられて、
不満になり、恨みを持つだけで、
「悟り」も得られないという結果になります。


「悟り」は、ただ期待して待っていてもやってきません。


「悟り」を期待するエゴ・自我意識を降ろすことでやってきます。


「私」がどうしたいかをよく見極め、心に正直にしましょう。


そして、妥協しないことです。


同じ価値観を共有しているように見えても、
人それぞれの魂の道があるので、
違う道を行こうとする人がいれば許してあげましょう。


そして、「悟り」を共有できる「今」を大切にします。


究極の「悟り」は、すべての人、宇宙を
ただあるがまま許容し、包容することです。


しかし、「悟り」に向かって努力したことは、結果に関わらず、
魂に刻まれることでしょう。


********


スピリチュアルTVを主宰されていたテディさん(小泉義仁さん)が
6/25に亡くなられました。


16年前に出会って以来、私達の活動をずっと理解し、
応援してくださりました。


すぴこん等のイベントでは講演をさせていただいたり、
スピリチュアルTVで、毎月のメッセージの動画を配信してくださり、
またスピリチュアルTVの生放送に出演させていただきました。


また、101キャンドルライトの海外ツアーでは、
あちこち行って遊んだりと公私ともにお世話になりました。


とても残念で、寂しいです。


人生の儚さを感じるとともに、日々を大切に生きたいと思いました。


テディさんには感謝しかありません。


ご冥福をお祈りいたします。



7/16(土)、17(日)に千葉・流山にて、
ドルフィニスト篤



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| ドルフィニスト篤 | 悟り | 14:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
原因と結果 〜因果の法則について〜
こんにちは。
Dolphinist Academyのドルフィニスト篤です。




 
今日は因果についてお話しようと思います。


現実で起こるあらゆる出来事、現象には原因があります。


私達は、何か出来事、現象が起こった時、
その原因を明らかにしようとします。


プロジェクトにおいて何か問題が発生すれば、
その原因を突き詰め、それを改善しようとします。


何か事件が起これば、その事件を起こした犯罪者を探し当て、
その動機を明らかにします。


物理学においても、あらゆる現象は初期状態という原因が
時間と共に展開していくと考え、その現象を引き起こす法則を探し当てます。



また、私達が何か達成したいことがあれば、
その原因を「私」が創る必要があります。


達成したいことに「私」が関心を持ち、情熱を傾け、
努力することで、物事が成就する・・・


原因があるからこそ、結果が生まれる・・・


目の前の現実は因果の連鎖のように見え、
私達はそれを当然のこととして受け入れています。


因果応報という言葉があるように
原因があるからこそ、善し悪しは別にして
その結果を受け取ることになるということです。


このように、私達は因果の法則にある意味で縛られているように見えます。


時間の概念も、原因から結果が生まれるまでに
時間がかかることから生まれ、
時間も因果の法則から生まれると言えます。


しかし、悟りの観点からすると、
時間もしかり、原因も結果も創り出しているのは「私」です。


「私」は原因そのもので、あらゆる原因を創り出し、
あらゆる原因の根源です。


結果は、「私」が創り出す原因の反映に過ぎません。


しかし、その結果も幻想に過ぎず、原因である「私」のみが実体です。


ですから、「私」は因果の法則を創るものであり、
それに縛られるものではないということです。


そして、「私」は、全く新しい原因を創り出すことができます。


新しい原因は、「私」の意志で創り出すことができます。


「私」の意志こそがすべての根源とも言えます。


「私」の意志で、全く新しい宇宙をたった今、
創造することもできるということです。


これは驚異的なことだと思いませんか?


原因の根源である「私」の中には、まだ現象界に現れていないものから、
現象界に現れつつあるもの、既に現象界に現れたものなど、
あらゆるすべてがあります。


過去、現在、未来という時間の枠組みを超えたすべてがあるということです。


量子力学における描像では、微小な空間において素粒子が
物質と反物質の対で生成し、次の瞬間に消滅するということを
無限に繰り返していますが、それに似ています。


この瞬間の「私」に、未分化なあらゆる可能性が凝縮されています。


どのような可能性でも繰り広げることができる自由があります。


自覚は、その「私」に没入することです。


「私」に没入することで、因果を超越し、そこから自由になるのです。


創るものと創られるもの、創造主と被創造物
この区別を超越することでもあります。


それは「私」の意志にかかっています。


6/11(土)に、神戸・垂水にて、7、8月分の
今月のメッセージの公開収録を行います。


また、6/18(土)に、東京・新宿にて、
今月のメッセージ&目覚めのワークショップを
神戸とskypeで繋いで行います。



6/24(金)、25(土)、26(日)に、対面もしくは
skypeによる個人セッションを行います。



ピンと来た方は、是非お越しください。



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